爛漫1 | 秘密の扉

秘密の扉

ひと時の逢瀬の後、パパとお母さんはそれぞれの家庭に帰る 子ども達には秘密にして

6日午前中、
「今週は体調を崩して中通りの家に帰れないと思う」とスカイプに連絡が入った。
「調整がうまくいかなくて寝不足が続いてた」
私は仕事中ですぐに対応できなかった。がっかりしながら午後、チャットウインドウに連絡を貼り付けた。
「そうか、米を送るのに電話番号が必要だから教えてくれる?
 エッセンスが先に届いていれば良かったんだけどね
徹ちゃんの身体のことは気になるけど、私なにも出来ないので、向こうのおうちに甘えて大事にしてください」

向こうのおうちというのは浜辺にある「おばちゃんち」で、徹の父親の親友の家だ。徹の父親の死後20年経ち、その友人も昨年亡くなったらしいが、未だに徹の第2の家として機能している。それから私の仕事で苦戦していることを書き送った。
チャットウインドウに文字が現れて繋がった。

「こっちももう少し苦戦かな」
「 まぁ、ぼちぼちやっていくしかないから、お互いがんばろう」
「ここまできたらコツコツだよ」
徹は「がんばろう」という言葉を使わない。聞きたくも無いのだろう。それでもついつい私はいつものクセで「頑張ろう」と言ってしまうのを、彼はかたくなに修正する。

「おばちゃんにカツオ買ってもらった(笑)子供以下の会話だね」
「あと30分ぐらいしか話せないけど、通話でもイイよ」
「隣の部屋で近所のばばちゃんとおばちゃんがお茶飲みしてるんだよ」
照れくさいのと、iPhoneの電波状況がいまひとつらしい。
ブツブツと回線を途切れさせながら、それでも徹の仕事の話や、私の仕事の話をしていると
「徹ちゃん何してるの?」と、福島のおばちゃんらしい声が聞こえた。
「ハイ!あ、ちょっと友達と話してたんで、ハイ、ハイ」
私と話す時とは違うワントーン高い声、かしこまった口調が聞こえてきて密かに笑った。
「いきなりおばちゃんきた!ごめんね」
「年上の女にもてるから。未亡人じゃん」
「79歳ですけど」
「あははっは」

「 関西が台風で被災して友達の町工場流されたって連絡きて、全国の友達まで被災者になったよ。先日の新潟水害の時も友達、被災したし」
「被災者だらけ、今年は本当に酷い」
「東日本大震災での職を失ったものが7万人を超えるって、言われたね」
「へぇ~、そうなんだ」私は知らなかった。そして徹もその一人だ。
「自殺者も過去最高になるみたいだし」
「なのに円高で益々逼迫してくる。悪循環だなぁ」
「良いニュース無いね、最悪だ」

2012年に何かがあるとか無いとか、息子が騒いでいる。1999年7の月も、世界は滅びず無事越えた。大きな戦争や災害もいくつも越えて来たのが人類の歴史だけど、俯瞰することと、その渦中にいることは全く違って、芥子粒のような存在である私達はそれに翻弄されて泣いたり絶望したりしている。いつか私達の苦悩も単なる歴史のひとコマになる時がくるのだろう。それを見届ける間も無く死んでいく芥子粒だからこそ、一瞬がきらめくのだ。


徹はそれ以来あまり中通りに帰らなくなった。いろいろな事情が絡み合っていて、納得のできるものだったけど、長い不在の後でそれを聞かされた私には、いかにも唐突だった。

「俺も周りに色々諭されてさ、一度病気をちゃんと治せって言われたんだ。心の重荷になっているものを全部いったん整理してみようかなって」
徹は夢の殆どを捨てる決意をしていた。自分が本当にやりたい仕事だった、福島に居ては上手くいかないことが分かっている夢。今まで積み上げてきたもの、義理で徹に押し付けられたものに押しつぶされていて、余裕の無い今の自分の負担を減らす決意だった。

「まぁ、そんなわけでしばらくこっちにかかりきりだから、中通りの家にはあんまり帰れないんだ
 いったんリセットしないと再出発できねーべ」
それらの事柄を話す徹の声はいつもと違っていて先日おばちゃんに返事をしていた時に似ていた。少し金属味のする聞きなれない声に私は驚いた。
「うん、そうだね」
相槌を打ちながら、何か決定的なことが起こったことを実感した。結局たった一日のタイミングの差で逢えなくなってしまったことになる。浜通りで暮らせば、仲間達とワイワイやりながら過ごすのだろう。私と無為に過ごすより徹のプラスになる。そのうち自然と連絡を取らなくなるに違いない。
「徹ちゃん、いつもと声が違うけど、大丈夫?無理してない?」今回徹が捨てるものはあまりにも大きくて、慰めの言葉も出なかった。
「いやぁ、今まで元気が無かったけど、なんかふっきれたんじゃね?元々こんなしゃべり方だぁ」
「まぁ、そんなわけでPCから遠くなるけど、また連絡すっから」
私も一緒に切り捨てられてしまうのだろう。私は心の中で縁が無かったのだと諦めた。